5月にあったこと
だいぶ間があきました。
色々ありすぎまして。
悪夢のような5月でした。
4月くらいから不眠、食欲減退していた私ですが、重なる夫の謎発言にショックをうけ、ついに動悸息切れや吐き気までが出てしまいました。
こうなると、日常生活に支障が出てきます。
今回はさすがに危険と思い、様々なところに助けを求めました。
一番支えてくれたのは、独身の頃からの自分を知っている、10年来の付き合いになる友人でした。
感謝しかありません。
辛抱強く、何があったかを聞いてくれました。
普通に会話ができるということが、ただただ、ありがたい。
共感してもらえることが、本当に本当に助けになりました。
生きることに、共感、、気持ちをわかってもらえること、気持ちに寄り添ってもらえること、は、こんなにも必要なんだと改めて感じたひと時でした。
私の夫には、それは望めないので、、
それが、ただ寂しいです。
この頃の私は、自分の状況をたとえて、「地面が崩れて行く感じ」と表現していたように思います。
ASDの夫から、いつも、おまえの常識がおかしいんだろうというような言われ方をして、自分の価値観がよくわからなくなったというか、自信がもてなくなったという感じでしょうか。
ASDの夫は、プライドが高く、自分に絶大な自信を持っています。
そんなに自信がある方ではない私なので、それに負けてしまった…のかもしれません。
動悸息切れや吐き気は非常につらく、この時はじめて、行政の実施している相談センターにも電話したり、面談をうけたりしました。
私の居住している地では、役所に行かず、請負団体で面談することができたので、それはとても助かりました。
さすがに、こんなお家事情を役所のいちブースで話す勇気はありませんので、、
ちなみに、医療機関にも行きたかったのですが、こちらはすでに翌月まで予約が取れない状態で、キャンセル待ちと合わせて新規予約のタイミングを待っている状態でした。
この頃の私にあったのは、危機感でした。
動けなくなったら終わり。
その思いが行動につながりました。
さすがに実家にも話をしました。
とりあえず、娘の夏休みに実家で療養させてもらえることになりました。
夏休みまで待つのはキツイという思いもありましたが、この事情を娘の幼稚園や自分の勤務先に伝えることの方がキツいと、私は感じていました。
離婚という言葉も、この時はじめて実家の家族に伝えました。
離婚は、この頃の自分にはまだ少し距離がありました。
とにかく、自分が回復するために、少し離れたかった。
その一心でした。
幸い、実家の家族は、いつでも帰ってきていいと言ってくれました。
また、この期間のもう一つ大きな出来事として、カサンドラ自助グループに参加したことがありました。
初めての参加でした。
何かヒントが見つかるかもしれない…というような希望を持って会場に行きました。
でも、帰りには、現実の厳しさをひしひしと感じて、打ちのめされていました。
自助グループでは、カサンドラ歴3〜40年のベテランさんから、私のような数年の方も参加していました。
余談ですが、まだ子どもがいないというカサンドラさんには、全力で離婚をお勧めしたかったです。近寄ったら絶対そんな話をしてしまうと思い、近寄れませんでしたが、、
(自助グループは自分の感情を吐き出すところであり、求められないアドバイスをする場ではないと感じたので)
それで、その先輩カサンドラさん達の中には、もう本当に気の毒な方がいらっしゃいまして。
顔色も悪く、こう言ってはなんですが、生きているのが不思議なくらいの状態にお見受けして。
それがまるで、自分の未来のように見えました。
そこから、私の心の不調はさらに深刻化した気がします。
長くなってきたので、分けます。
続きはまた。
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コメントはいただいても状況的に公開やお返事が難しいことがありますので、ご理解いただければ幸いです。
また、疲れ切った脳で考え記録していることですので、もしかしたら不快にさせる言葉遣いや言い回し、表現があるかもしれませんが、そちらについても、ご容赦いただければと思います。